朝井リョウ『もういちど生まれる』あらすじと感想・レビュー・口コミ



■□『コラム第23回目』■□
▶︎この記事の執筆者:たくぼく(@takuboku1018)
【もういちど生まれる】
「いつまで子どもでいていいんだろう。いつまで、思ったことを上手に伝えられないままでもいいんだろう。たくさんのことができないまま、いつからあたしは大人になってしまうんだろう。」
👉大人になりゆく若者の葛藤を描いた作品です。おすすめ☺️https://t.co/ro3fk6vXTO
— たくぼく@象使い🇹🇭🐘 (@takuboku1018) April 7, 2020
『もう一度生まれる』



どうもこんにちは。
朝井リョウの大ファンで有名なたくぼくです。
今回は朝井リョウの本の中から、『もういちど生まれる (幻冬舎文庫)
本書は朝井リョウが初めて直木賞にノミネートされた作品です。
本記事では、本書「もう一度生まれる」のあらすじと、本書に登場する素敵な表現・言葉たちを紹介しながら、それらの感想・レビューを記載します。
朝井リョウの巧みな表現力と感受性の豊かさに揺さぶられてみてください。
いい人生とは、どれだけいい言葉に出会ったか、である。
それでは行きましょう。
ひーちゃんは線香花火
■あらすじ■
えっ、いまあたしにキスしたのどっち?「好きになっちゃいけない人を好きになったときって、どうしたらいいのかな?」親友の風人からこんな相談をされた汐梨。ある日、ひーちゃんが交通事故に遭い、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づく。恋愛と友情を取り巻く3人の大学生の物語。
成長しない一カ月がこんなにも積み重なって、あたしはもう十九になってしまった。あたしが子どものころに想像していた十九は、こんなふうにぐしゃぐしゃになった洗濯ものを放っておいたりはしなかったはずだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(ひーちゃんは線香花火)
子供の頃に感じていた大人の理想とギャップが丁寧に描かれています。
みんな、必死に「大学生しよう」としている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(ひーちゃんは線香花火)
大学生が、大学生を客観的に捉えようとする文章。「大学生する」って抽象的な文章なのに、誰もが知っているような表現。なんだかしっかり伝わってきます。
もともとここは知らない街だけど、ベランダに立ってちょっと上から眺めてみると、もっともっと知らない街に見える。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(ひーちゃんは線香花火)
上から見下ろすと普段は見ていない新たな発見も見つかって、より自分の知らない街が見えてくるよね。例えるなら、引越しをしたばかりの部屋で洗濯物を干す時間。
染めていない髪と、開けていないピアスと、吸わない煙草と、あたしは尾崎のそういうところが好きだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(ひーちゃんは線香花火)
「〜しない」で統一された文章。していることではなくて、していないことで人の特徴を集めるのがなんだか新鮮でした。
いつまで子どもでいていいんだろう。いつまで、思ったことを上手に伝えられないままでもいいんだろう。たくさんのことができないまま、いつからあたしは大人になってしまうんだろう。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(ひーちゃんは線香花火)
大人と子どものモラトリアムが丁寧に描かれています。
燃えるスカートのあの子
■あらすじ■
ストリートダンスをしているブルーのメッシュの髪型のハル。わっしゃわしゃの頭に虹色フレームのメガネをした映画監督志望の礼生。一番大学生っぽいと言われた翔太。「この映画に賭けてる」という礼生と「それで生きていけるわけでもないのに」とつぶやくハル。『一番大学生っぽい』のに必死にそうでないふりをしている、何者でもない若者たちの日常を描いた物語。
車の助手席から見るオカジュンの横顔とか、大江健三郎を好んで読む結実子の長いまつげとか、読者モデルとして雑誌に載っている椿の笑顔とか。みんな、たぶん、少なくともオレよりはきちんと「十九歳」だ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
誰かと比べる思春期の感情。誰にもあるよね。早く大人になりたかった十九歳。
バイト終わりの新宿は、他人がもっと他人に見える。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
これ思ったことあるー!共感したことないですか?何も考えずにただ時間を過ごした後に入ってくる外の世界の情報。なんだか自分1人ポツンと置いていかれてしまっているようなそんな感情。
こんなにも人がいるのに、ほとんどが他人だなんて、大学って不思議な空間だ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
大人になりゆく大学生の空間をふと見つめ直したような表現。よくもまあ俯瞰してみれますよね。素晴らしい。
結局は、自分が休んでも、誰かが代わりを務められるような仕事に就くことになる。そこで四十年近く働くんだ。たまに有休うまく使いながら。多分昼は五百円弁当で。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
大学生が将来に夢を見つけられない様を描いています。「結局こうなっちゃうんだろうな〜」なんて。一度は考えたことありますよね、、
人に見下されて生きていくのって、誰かを見下して生きていくよりも、たぶん楽なんだ。たぶんね。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
いい言葉!覚えておきたいフレーズです。
機材や荷物が奏でるガタガタという音が、自分はとても忙しいのだと主張しているようで気に障る。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
誰かが何かをしている様子が無性にしゃくに触ったり、誰かの頑張りを否定したくなってしまうあの感情。誰しも経験があるのでは?
マチルダをこの手でつくると言って機材を背負った礼生の背中は、この世界じゅうにあふれる自由をすべて背負っているみたいにみえる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
嫉妬からの表現でしょうか。「自由を全て背負っているみたい」なんて言えるのは、自分が不自由に感じているからなんでしょうね。
あったかいごはんに納豆と味噌汁と焼き魚がそろったように、オレたち四人はいつでも無敵になれる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
無敵の表現を食事に例えるこのセンス、圧巻です。
自分は何か持っているって思う人と、自分には何もないって思う人と、どちらが上手に生きていけるのだろう。どちらが辛い思いが少なくて済むのだろう。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
思春期の悩みを描いています。難しい問いですね。
「自分の目で見てないのに、そんなこというの、よくないよ」
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(燃えるスカートのあの子)
友達の頑張りを理解できないながらに、悪く言われるのを嫌がって放った言葉。優しい言葉です。
僕は魔法が使えない
■あらすじ■
「自分が向き合いたいと思ったものを描くことが一番いいよ」破られたアトリエの絵。結実子に声をかけた新。死んだ父さんのカレーと魔法のかかっていない鷹野さんのカレー。「新くんが、なんで私を選んだのか分かった」新が本当に向き合いたかったものとは。
この世界の本当の美しさや汚さは、どんなに上手に絵の具を混ぜ合わせたって表現できないと思う。どんな場所にもさまざまな出来事が染み込んでいて、この世界に存在するということの積み重ねは、どうしたって描ききれない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
画家志望の学生が、現実と絵画の世界の理に気づいた様子を繊細に描いています。
ナツ先輩は、いくらでも夢が見られるようなこのキャンパスの中で、一番現実を見つめている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
なんで大学生なのに夢を見ないのか、なんで大学生なのに夢を見ているのか。様々な葛藤と思考がキャンパスをめぐります。
なんていうか、ひらがなで表すなら「あやめ」じゃなくて「つくし」みたいに、すべて一筆でさらりと書けてしまうけれどよく見るといろんな方向に開いているような、ナツ先輩はそういうひとだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
この表現は本当に素晴らしい。「単純だけれどよく周りも見ている」ということを表現しているのでしょうか。ひらがなの性質への気づきとそれを小説に盛り込むポケットの広さに感服。
それはきっと、足し算よりも簡単で、ほうきで空を飛ぶよりも難しいことだった。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
簡単なのに難しい。相反する矛盾を丁寧に表現していますよね。
俺は、大学から駅まで続く道が好きだ。いろんなひとがいろんな話をしながら歩いて、いろんな形の人間関係が築かれただろうこの道は、なんだかすごく大切なもののように思える。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
僕も大学の通学路は好きでした。いろんな学生が通る道はきっといろんな物語で溢れているんだろうな、と思います。
大学ってそういうところだ。無責任を背負って、自由を装っている。未来どころか、三歩ほど先のことだって、本当は誰にも見えていないんだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
大学生の自由は、未来に対する無責任さの裏側にある。誰も未来のことに興味を示していない様子が伝わってきます。
ピアノは白と黒だけれど、父さんが座ると色彩を放つ。ひとつひとつの音符がそれぞれの色に染まって、その姿を描くにはどんなにパレットがあったって色が足りない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
父親のカレーとピアノが大好きだった様子を、その特別感を引き立てる文章。言葉選びが上手いですよね。
なんで、俺はあの人のことを天才だと思ったんだろう。強いと思ったんだろう。魔法使いみたいだなんて思ったんだろう。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(僕は魔法が使えない)
天才だと思っていた人が弱みを見せた日、彼が天才ではないと知ってしまった。人はみんな何かしらの悩みを抱えていて弱い生き物なんだ、と気付かされる場面です。
もういちど生まれる
■あらすじ■
予備校の先生に恋をする梢は、双子の姉・椿に劣等感を感じていた。椿がうらやましくて、椿になりたくて、椿よりも大きくなりたくて、椿のふりをして学生映画の撮影に挑む。今の私から変わりたいともがく、誰にも祝われずに密かに二十歳になった梢の感情の物語。
海を分母に、空を分子にしたら、1を超えるのだろうか。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
「海よりも空の方が広いのかな」なんて疑問を数学的に描くことで主人公の思考回路を読者に植え付ける、素敵な表現だと思います。
私は、何時間か先に生まれただけで、私が持っていないものを全て兼ね備えている姉のことが、電車よりも高田馬場よりも苦手だ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
姉と電車と高田馬場。並列しなさそうな言葉を同列に並べることで、主人公の気持ちを丁寧に描いています。
部活ばかりでアルバイトをしたことがなかった私は、初めて自分で稼いだお金で、初めて髪を染めて、初めてパーマをかける日をずっとずっと楽しみにしていた。椿は撮影のついでにやってもらっちゃった、と屈託なく笑っていた。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
自分が頑張って手に入れたものを、軽々と横で手に入れてしまう人を見つけてしまったときのあの虚しさ、なんなんでしょうね。
毛穴の中にヒゲの種か埋まっている。このしっかりとした形のアゴを撫でることができる奥さんが、私は羨ましくて仕方がない。羨ましくて、大嫌いだと思う。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
羨ましいと大嫌い。並列する感情をストレートに描いています。
62とか65とか、そういう数字で表されている長方形の大学偏差値表。椿の通う大学の学部よりしたのマスに落ちたくない。そんな思いにしがみついていたら、いつのまにかこんな場所でひとり、二十歳をむかえることになってしまった。椿の通う大学と、私がこれから通う大学。それぞれ分母と分子に置いたら、1になるだろうか。1を超えられるだろうか。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
分母と分子で姉と自分を比べる梢。冒頭の海と空の分母分子の表現を思い出して、いい感じに浸透します。
バイトはどうするか、サークルは何にするか、楽しそうに話す友達を見送った場所で、私はもう一度夏を迎えようとしている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
友達においていかれてしまった去年の夏。また今年も追いつけなかった。悲しさが募ります。
ここには、私より三百六十五歩分後ろにいるぴかぴかのたましいがたくさん転がっていて、時々、それらにつまづいて転んでしまいそうになる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
自分が前を歩いているはずなのに、いつの間にか後ろを歩いていた人たちと同じ土俵にいる。眩しさとさみしさがにじみ出ます。
ヒーチャン、のことを好きだという風人の片思いと、先生への私の片思いは、きっと1と1だ。だからいっしょにいると、安心する。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
同じ気持ちを共有できる、というのを分母と分子で、1と1で例えていますね。
毎日、ひとつひとつ新たな発見をしていたあのころは、私も椿も、風人もみんな同じところで生きていた。偏差値で分けられる表の中で生きてはいなかった。同じものを見つけ、同じことを新しく知り、同じものを恐れ、同じ朝を迎えた。同じ二十四時間を、いまでも生きている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
同じところで生きていた3人が、同じ時間を別々に生きている。いつしか人は離れ離れになってしまう、寂しい生き物ですよね。
予備校の自習室を出て、あっというまに夜になっていることに、私はほんとうは安心している。大学生になることに成功した人たちがシャキシャキと消費する昼間の空気に触れなくて気が済んだことに、毎日、ほっと安心する。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
誰にも気付かれずに1日を終えることに安堵する梢。なんだかわかる気もします。
ただいま、という私の声だけが、誰の足音もしない床に転がる。子供の頃から使っている底の浅い白いお皿にぴんと張られているラップを見るたびに、私は、自分がまだまだ自立していない子供であることを認識する。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
「足音が床に転がる」物でもないのに、こんな表現ができてしまうのが朝井リョウの良いところなんです。
30秒、まるごとレンジで温めて、水滴だらけになったラップを三角コーナーに捨てる。私はこうして毎日、同じ面積のラップを消費し続けている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
毎日同じことをしていることを、日常のラップから切り取って表現してしまう。なかなかできることじゃないですよね。
椿は何を勉強しているというわけでもないのに、毎日帰りが遅い。大学生ってそういうものなのかもしれない。私は今、勉強をするということ以外に夜更かしをする方法を思いつかない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
大学生の椿と浪人生の梢。自分の知らないことを多く知っているように見えてしまう椿をなんだか遠くに感じてしまう。
先生はどんな髪型が好きなんだろう。一瞬、そんなことを考えた。想像もつかなくて、そんなことを少しでも考えたことがすごく恥ずかしくて、私はいろんな想いをぬるい麦茶で流し込んだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
「いろんな想いをぬるい麦茶で流し込んだ」この表現のいいところは、麦茶が冷たくないところ。スッキリしない思いが表現されています。
椿が1なら、私は一体なんなのだろう。やがてお風呂から出てくる母がまず話しかけるのはきっと椿だし、それは髪を黒に染めたっていう変化があるから当たり前かもしれないけど、だけどきっとそれだけじゃない。私と椿は明日、同じ時間に二十歳になる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
双子なのにこんなにも違う自分と椿。コンプレックスと虚しさとで、消えてしまいそうになる、梢の気持ち。
うらやましいから、だいきらい。人間って単純で複雑だ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
人間て単純で複雑だ。ううん、すごく良くわかります。
風人の片思いは、ぴかぴか光る初夏の電車内で、1よりも小さくなってしまった。星のように流れていく景色の中で、私は密かに二十歳になっていく。今は、高田馬場駅の騒がしさが恋しい。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
片思いが1より小さくなる。嫌いだった高田馬場すら恋しくなってしまう。様々な表現が情景描写と共に描かれています。
昨日は、少しだけドキドキしながら眠った。洗面所の鏡は、椿に取られた。英作文の点数が高かったことが嬉しくて、いつもは買わないミルクティーを買った。先生の言葉が忘れられなくて、久しぶりにスカートを履いた。二十歳の誕生日。私は、一人で昼食をとる場所を見つけられずにいる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
少しワクワクしていた未来と、儚い現実。結局自分ってこうなんだ、って逃げ出したくなる気持ち、わかります。
私はこんなにも困っていない「困る」を初めて聞いて、やっぱり一人で屋上に行けばよかったと思った。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
「困っていない困る」日常にも溢れている気がします。
ほんの少し、期待してしまった。そういえば、って先生が言ったとき、期待してしまった。お前今日誕生日だよな、って。二十歳なんてめでたいなって、まだまだ若いしこれからだな、って、そんな軽い一言と共に何かくれるんじゃないかって、たった一ミリだけど期待してしまった。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
期待が外れてしまった悲しさを心情描写から表現しています。
私は、バターで汚れた銀色のフォークを見つめたまま、動けなくなっていた。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
「バターで汚れた銀色のフォーク」情景描写が具体的で読者の想像を駆り立てる表現が本当にうまいです。
私だって自信をつけたい。私だって1になりたい。私だって椿みたいになりたい。私は残りのアスパラガスを全部口に放り込む。さっきよりももっともっと青臭かったけれど、繊維が残らないくらいに、強く強く噛み砕いた。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
私だって1になりたい。「繊維が残らないように」という表現も朝井リョウらしいですね。
私は、外されてぷらぷらしていたイヤフォンをもう一度耳にはめたけれど、再生ボタンは押さなかった。もう少し聞いてあげようと思った。電車と合わせて揺れる風人の悲しみに、私一人だけでも、もう少し耳を傾けていようと思った。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
梢の優しい気持ちが表現されています。
真っ白な予備校の教室に差し込む太陽の光よりも、今日の光は暖かい。誰かが隣にいて、後ろで誰かが笑っていて、前にも誰かが歩いていて、こんなにも暖かい太陽に包まれて、お団子頭が似合うねなんて言われながら、昼間の街中を歩いている。椿は毎日、こんなふうに生きているんだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(もういちど生まれる)
初めて椿の日常を知った梢。同じ毎日がこんなにも違うんだって、そう気付かされた、そんな場面です。
破りたかったもののすべて
■あらすじ■
翔多の前でならすごい自分でいれるハル。「画家はって、兄貴、画家じゃないじゃん。」努力をしていない兄貴のようにはならない、そう誓ったハルは、ある日兄貴の描いた絵に自分の姿を見つける。兄貴の絵を破いたのはだれか。ハルが本当はずっとずっと前から分かっていたこととは。夢と葛藤と努力、偽りが交錯する。
私は、翔多をバカにしていないといけない。そういう返事を、数時間後に、送らないといけない。翔太から見た「ダンサーのハル」は、もっともっと忙しくて、連絡もとれないくらいでないといけない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
プライドから見栄を張ってしまうことってありますよね。
水道水で作ったカルピスの中で、氷はすぐに溶けた。兄貴の夢だけが、いつまでも溶けずに残っている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
氷と夢を対立して表現。いいですね〜、好きです。
あの頃の私は、すごくすごくきれいだと思った。あの絵は、それさえ持っていれば世界中のどこにだって行ける、世界でたった一枚の切符みたいに見えた。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
絵を切符に例えて、絵の才能でなんでも成し遂げられてしまうような、それくらいすごいと思っていた様子を表現しています。
兄貴が嫌いなシイタケを私が食べ、私が嫌いなナスを兄貴が食べていた夕食の空間は、もう遠い過去のように感じる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
日常の具体描写から描くスキルに本当に優れていますよね。
高校生の「すごい」を卒業しても、その先に大学生の「すごい」が待っていた兄貴は、もしかしたら、とても不幸なのかもしれない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「すごい」と言われなかった方が、もっと早く才能がないと気づけたのに、中途半端に自分の才能を褒められてしまう方が辛いことって、あるかもしれないですね。
「あっそ。私は今から練習」送信。いま、私を「すごい」と言ってくれる人は、翔多しかいない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
誰かに見せたい自分は、時に本当の自分とはかけ離れていたりもする。
翔多は、私と椿は友達だったと思っている。だけど、私と椿はそんな言葉で表せる関係ではなかった。椿は私のそばにいることで「ひとり」から脱出し、私は椿から見上げられることで「すごい自分」を手に入れていた。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「都合の良い友達」という表現を使わないで、それを表現しています。さすがすぎる・・。
この子は生まれ持ったかわいさで、ほしいものをすべて手に入れている。別に、この子自体がすごいわけではない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
あああ、嫉妬心の表現が美しい。。
私は目に見えない才能なんか追いかけない。誰の目にも見える努力で、欲しいものを勝ち取る。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
いい言葉ですね。単純に。
私は部屋にこもって、自分にしか分からない何かを表現しようなんて、そんなことはしない。そんな自己満足な世界の中に浸ったりしない。もう誰も見ない階段脇にひっそりと貼り付けられている才能にしがみついたりなんか、絶対に、しない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
兄を否定するハルの気持ち。兄と自分は違うんだって、自分自身に言い聞かせている、そんな場面です。
浪人をして美大に入った兄貴はもう、大学三年生だ。二十歳を過ぎても、てのひらを絵の具で汚している。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「いつまで画家の真似事をやってるの?」と言わんばかりの表現。
私は努力をして、毎日の練習を経て、青いメッシュや深夜のクラブが似合うポジション、教室の中でひとり音楽を聴いていてもおかしくないようなポジションを手に入れている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
自分を正当化し、他者を否定しようとする、そんな気持ち、誰にだってあったはず。
だけどいつまで経っても、兄貴は、校舎の壁に飾られた絵のままだった。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「兄貴の才能は校舎から出て行くことはなかった」それを、「壁に飾られた絵のままだった」と表現できる。あっぱれです。
椿は知っていたのかもしれない。高校生の「すごい」は、高校生のうちに賞味期限が切れるということ。校舎を一歩出れば、私たちのものさしで測っていた「すごい」なんて、効力をなくすということ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「すごい」の賞味期限切れ。
真夜中の新宿は、一見散らかっているようで、実は巧みに片付けられている気がする。足の踏み場もないように見えて、それでもきちんと、私たちが歩く道は確保されている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
朝井リョウがこんなことを考えながら東京の街を歩いているのだとしたら、彼の頭の中を一度覗いて見たいものです。
スクエア・ステップスは二年制だ。あの色とりどりの練習着やシューズが踊るレッスンスタジオは、もうすぐ二十歳になる私をもう、守ってはくれない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
守られていたこれまでと、守られないこれから。子供と大人の狭間に生きる若者の心情です。
翔多は、私のことを「ハル」と呼ぶ。そのたびに、最後列左端が定位置の「遥」ではない別の誰かになれるような気がして、一瞬、泣きそうになる。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
誰かから見えている自分と本当の自分が違う時、前者が救ってくれること、ありますよね。
有佐は、さっきまでのレッスン着と同じ服を着ている。スタジオから、そのままここに来たんだ。私みたいに一度家に帰ったりなんかしていない。サラダを食べたり、シャワーを浴びたりもしていない。先生の一言に突き動かされたままの足でここに来ている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
実は自分なんかより努力をしている他人を知った時、崩れ落ちそうになってしまいます。自分は甘かったんだ、そう気付かされるのです。
本当は無糖なんて好きじゃない。だけどいつか、翔多が「ブラックなんて飲むんだ!かっけー!」と言ってくれたことが、忘れられない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
偽りの自分を演出してきた様子を、コーヒーの無糖から表現しています。
安心してしまう。翔多とこうしてふざけあう時間を楽しみにして、私は、ギリギリのところで立ち続けることができている。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
ハルにとって翔多はかけがえのない存在だったんだ、と気付かされます。
私はあの頃の「すごい」から落下していく中、椿は、あの頃と同じ普通の日常を報告してくる。その日常には翔多がいて、あと2年以上も学生でいられる時間があって、私には手に入れられないものばかりだ。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
「すごい」を追い求め続けたハルと、普通を選んだ椿。どちらが正しくてどちらが間違っていたんだろう。
私は、ただ単に普通になることを選べなかったから、今の学校にいる。有佐は、特別になることを選んだから、いまの学校にいる。その違いは、とても大きい。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
自分で選んだ将来は、きっと誰かに選ばれた成功よりも尊いものだと、そう思うのです。
他人に、自分を、こんなふうに見せていたことが、恥ずかしくて、寂しくて、悲しくて、耐えられなかった。私はこんな風に踊れない。こんな将来を手に入れられるような努力も、本当はしていない。
「もういちど生まれる 著:朝井リョウ」(破りたかったもののすべて)
自分の才能を、努力を、誰かに必死で見せてきた自分を、全てが偽りであったと自分自身が認めてしまった時、その悔しさはどんなに大きいことでしょうか。
最後に
朝井リョウの作品の素晴らしさは、悩める若者の心情を丁寧に描くところだと思っています。「もう一度生まれる」を書き上げた時、朝井リョウは23歳でした。
若い彼だからこそ書ける文章があったのでしょう。
ぜひ、遠く昔の青春を、文章を頼りに思い出してみてはいかがでしょうか。