本物とは何か
どうもこんにちは。今回はコラムの第1回目、タイに住んで5ヶ月が経とうとしています、たくぼく(@takuboku1018)です。
タイのナイトマーケットを歩いていると、ブランド物のコピー品が売られていることがよくある。明らかに偽物と分かるものから、これまた精密にできた本物と遜色ないものまで様々だ。近年の発展途上国の技術の発達にはめざましいものがあるなぁ、とコピー品の精巧さに時代の進捗を感じるとともに、やはり本物だけを使いたいものだな、と改めて感じる毎日である。
僕は偽物を買わないようにしている。本物だけを使うことで、本物を感じ、何が本物かを体に覚えさせるためだ。見る人から見ればそれが偽物か本物か案外すぐに分かったりするものだ。恥ずかしいことに僕にはまだその分別がつかないことがあるから、できるだけ体で覚えるために本物を身につける。
「それって本物?」と聞く人を見ると「寂しい人だな」と感じてしまう。本物か偽物か聞かないと判別がつかないんだな、と思ってしまい、(また、その質問が失礼に値することに気づかないことも含めて、)こんな大人にはなりたくないものだと強く感じる。
しかし、少し前に、いやだいぶ前に、こんな記事をどこかで読んだことがある。うろ覚えなので多少間違ってるかもしれないが、許して欲しい。
漆のトレーの話だ。
良い漆のトレーというものは職人技によってその柄や触れ心地の細部にこだわって丁寧に作り上げられる。ある団体によってこの漆のトレーを用いた一つの実験がなされたという。本物の漆のトレーと精密にコピーされた漆のトレーを用意して、一人の職人にどちらが本物か当てさせたのだ。
勿論その道の職人は、職人としてのプライドがあるから外すわけには行かない。十分に見比べて結果を出した。
職人はコピーされた漆のトレーを指差して、「本物だ」と答えた。
面白いことにこの話には続きがある。なんと精巧にコピーされた漆のトレーは、本物のトレーと同じ技術力、同じ質感、同じ外見を作り出すどころか、本物の漆のトレーの技術を上回っていたのである。
ここである問いが生まれた。
「本物と偽物を比べたときに、偽物の方が品質が良かったとして、その偽物は本当に偽物たりうるのか」
確か当時の記事上では答えについて言及されていなかったように記憶しているが、面白いクエスチョンだなぁ、と唸ったのを覚えている。
本物より精巧に作られた偽物は偽物か。
僕は冒頭で本物だけを身につけたいと言った。本物だけを身につけることで本物とは何かを身体に染み込ませるためだ。本物と偽物の判別がつかない大人ほど恥ずかしいものはないと思っていたが、果たして自分が求める本物とは何だろう、ということを考えなければならないのかもしれない、と感じるようになった。
本物が本物たる由縁はなにか。恥ずかしいことに現代の多くの人間は、本物と偽物の区別をつけることができない。人はより高価なものを本物と判断して、安価なものを偽物と判断する。金額の高さで安心を買い、それが本物であると自分の脳に刷り込んで忘れないようにする。自分で判断するということを直感的に恐れているように思える。
偽物の漆のトレーを本物だと答えた職人は、本物を当てる事はできなかったが、より技術の優れた方を本物だと答えた。この職人の慧眼は本物だろう。
僕は本物を当てることができるだろうか。
微かに日が沈んでいくタイのナイトマーケットを歩きながら、そんな問いを自問自答する毎日である。